6月1日から筋トレを再開したものの、メンタルの弱さと怠け癖が抜けなくて筋肉を追い込むことを忘れてしまいました。鹿嶋です。
自粛期間は、あからさまに運動量が減ったせいで、そもそもお腹が減らなくなり食べる量が減ったため、筋肉がなくなり、脂肪が増えてしまいました。皆んなには細くなったね?とか、引き締まったね?と言われます。違います。萎んで太ったんです(´pωq`)
ここで食事のお話を
今でこそ「3食しっかり食べましょう」や「朝ごはんは〇〇しましょう、昼ごはんは〇〇しましょう、夜ごはんは〇〇しましょう、間食は〇〇しましょう」など、1食で十分とか、5食で小分けが良いとか、やっぱり3食が良いとか、様々な情報が行き交っていますよね。
で … 結局何が良いの?とか良く聞かれます(笑)
そこで今日のお話は …
1日3食になったのはここ最近だよね。というお話です!!
まず、江戸時代になる前と江戸時代の初期の頃は「あさげ(朝食)」と「ゆうげ(夕食)」と呼ばれる1日2食の食事が主流でした。では、いつから1日3食になったのでしょうか?
きっかけは江戸時代(1657年3月2日~4日)まで続いた「明暦の大火(振袖火事=丁酉火事=丸山火事)」犠牲者は3万~10万人と言われている大火事です。
この大火事で50年かけて作った江戸の多くの建物が焼けてしまった為、大至急の再建が必要となり、多くの大工が幕府に雇用されました。
その時の大工は労働が1日中続いた為、2食では体力が持たず、昼ごはんを食べたい場合は自宅に帰って食べると言うものが主流でした。
そこで、浅草寺の門前で売られた「奈良茶飯」という定食が、家に帰らずに食べられる手軽な昼ごはんとして繁盛したことをきっかけに、3食文化になっていきました。とさ……
ちなみに、江戸時代の男性の1日の米の消費量は平均5合(約750g)で、それだけの運動量が日常的にあったと考えられます。そして、おかずは、魚や納豆やみそ汁や漬物と言うものが主流でした。
たたき納豆という納豆汁がインスタント味噌汁として食べられていて、これがインスタント商品の始まりと言われています。当時、納豆は汁物として食べるほうが一般的だったそうです。
また、晩ごはんは残ったご飯にお茶をかけてお茶漬けにして食べることが多かったようです。
夜は日が落ちれば明かりも少なく、することもなくなる為、軽い食事で済ませて寝てしまうことが多かったようです。(お酒を楽しむなど、晩酌や宴会をする場合は例外ですが…)
これらの話を踏まえてわかること。
運動量と食事量は比例するということ。
この便利な現代社会、移動は車や電車、自転車ですよね。そもそも移動先でどれ程の運動をするんでしょうかね?家事も便利な道具が増え、疲れたと言いながら身体が痛いから、重いからと嘆くわけです。
まぁこれが現代なので自然と言えば自然でして、太って不健康になり、関節や内臓はボロボロになって何も出来なくなってから、もっとちゃんとしておけばよかった。こんなに痛いなら、こんない不便なら、と後悔するわけです。
と、今回はこの自粛期間で鹿嶋が上記のように怠けて、どんどん不健康に加速していたので、自分に喝を唱える記事でした|ω・`)
今日も胸のトレーニングと息上げをみっちり1時間行ったので、ご褒美のカレーを食べます。
ではでは、ありがとうございました(^^)
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